九州西廻り紀行2015 その0 前夜
5月17日、午後3時過ぎ。
ある試験は終幕を迎えていた。
東京臨海部。Twitterには「やったー、釈放(^(00)^)/」と書いた。
早急に帰宅して、出発の準備しないといけない。心ではそう思いながら、駅前の広場のベンチで新聞広げ、スマホを起こし、住民投票を行う。
一瞬の飛び込み自殺。そしてストレイトガール(絶句
…気を取り直して帰途につく。大井町駅、ラッチ外のコインロッカーに収めた家財道具を取り出し、埼京線直通で新宿へ。京王線で(確か北野乗り換え)高尾へ。
歩荷さながらの大荷物(95%本!試験を受けると漏れなくおみやげに法文がついてくる!)を自宅に担ぎ上げたら、6時近かった(相撲やってたはずだが不明)。
Twitterで「17日呑み」のゆる募をかけていたが、全く反応がなかったので一人打ち上げに決し、うちでもちょっと呑んだ。
荷造りはそんなに手間もかからず、かといって東京駅八重洲口翌未明午前2時発だったので急いても詮無い。
当日のはてダ(ほぼTwilog化している)を見ると、夜8時半くらいには出立した模様。たしか「花燃ゆ」はこの日正式に継続視聴をやめたと思う。「水どうClassic」もブッチしたっぽい。
明大前吉祥寺を経由して、打ち上げ会場へ。ここ。
西荻五鉄であります。ホルモン(見りゃわかる)。
この日は大阪住民投票日でありまして、道中Twitter観察しており、明大前当たりでは「絶望」情報もちらほらあった。
しかし、ホルモン第一波が焼ける寸前くらいに、反対多数当確キター(^(00)^)/
乾杯(^(00)^)/バンザイ(^(00)^)/(^(00)^)/
「Viva la Osaka!」やら「Thank you Osaka!」やらいうTweetもした。
しかし、とても楽観できない、我らの足下は空洞であるという認識もすでにあった。
京成が待合を新設していた。ここで発車まで待つことが出来、暑い時期寒い時期も重宝しそうである。
成田へは「東京シャトル」、この日は成田空港交通車両でした。3時に到着してLCC専用の3タミへ。めぼしい寝床は先客が先占していたので、フードコートの床で寝る。コンクリートの叩きやPタイルじゃなく、木質床材だったのでよく寝られた。まあアルプス稜線のテント場でゴロタ石の上で寝るのに比べれば大した問題でない。
続きます。