1105決戦広島/優勝パレード・優勝報告会・黒田様惜別…「天使のため息」に乗せて(本編です。
さて旧市民球場蹟から紙屋町西電停に出て、優勝報告会は13時ころからじゃろうと誤信し、己斐方面の電車に乗ったが、もうすぐ開始と知り、十日市町からとんぼ返り。
紙屋町のエディオンさんに行く。
競馬中継の時間によう電気屋に行くんだが、チャンネル変えられたり白い目で見られるのが通常じゃ(苦笑)
この日のエディオンさんはさすがに違った。
@buhikun エディオン新館8Fのテレビ売場で観た。ファンが100人くらいおり、黒田さん退場シーンでは思わず拍手が(白目 #広島 #carp #優勝報告会 #エディオン
— ブヒくん #Antifa #野党は共闘 (@buhikun) 2016年11月5日
エディオンさんに深謝<m(__)m>
さて、「天使のため息」に乗せてカープのこれまでと黒田様を回顧していく。
まぶたを閉じれば 浮かぶ二人の歴史を
今でもこんなに近くに感じてる
春の日のくちづけと
夏の夜のときめきと
けんかした あの秋と
幸せな 冬の朝~
人はなぜ皆失って はじめて気づくの
見えない糸で結ばれた 愛の重さに
もう少しそばにいて 私を守って
偶然と呼ばれる出来事は 何もなくて
出会いも別れも 最初に決まってる
束の間の喜びと 戯れを引き換えに
永遠の鯉だって 奪われていくことを~
【日本シリーズ第3戦】 黒田が緊急降板に両チームのファンから割れんばかりの温かい拍手!広島対日本ハム 10月25日
人はなぜ皆 淋しさを抱えて生きるの
たった今来た道さえも 迷路のはじまり
光の当たる場所 いつも探してる
懐かしいあの歌が どこからか流れてく
【カープ優勝決定試合】こんなドームみたことない...宮島さん大合唱!
何もかも 美しい思い出に 変わるけど
人はなぜ皆 限りある生命を燃やすの
天使のようなため息で 最後につぶやく
再び会うための 短いさよなら
あなたにさよなら 忘れないでね…
(完)
1105決戦広島/優勝パレード・優勝報告会・黒田様惜別…「天使のため息」に乗せて(中編。今話題の映画も出ます
江波から土橋乗り換えで西観音町へ。赤い軍団の立ち上がりが異様に早く、分散したからか電車は空いていた、
平和大通のグリーンベルトに。芋の子洗い。
通りの南のビルを見ると、屋上に人影!
「鳥じゃ!飛行機じゃ!達ちゃんじゃ!」
ですかわかりません(白目 真相は不明(謎笑
さて出発。
1号車
(同定不能。主力組と思われる
2号車
(同定不能too(苦笑)
3号車
ジャクソン!ジャクソン!
日本シリーズはおまけじゃ、心折れるなジャクソン!
流川でゲロ吐くまで呑もうジャクソン!
4号車
(わかりません(^(00)^;;
5号車
大瀬良!大瀬良!カピバラ!
今年とぼけた大瀬良!来年やれよ大瀬良!
パレードを追尾することは禁止令も出ており、人がすごくて断念。
撮影タイムにする(別記事参照
土橋から江波に向かう電車通りを歩き、平和大通で左折。
川の畔には中国新聞社ビル。
思わず脳内再生:
橋を渡れば平和公園の核心部。メッセがあって学会開催中だったが、赤い軍団は関係なく闊歩(笑)
目についたのはこの地図。
「市民球場もうねえわ」とツッコミが止まらない(失笑
慰霊ゾーンへ。
慰霊碑には長い列。半分以上が赤い軍団。いい光景。
平和あっての野球。ピースナイター。
戦没した野球選手も浮かぶ(カープは戦後創設なのでいない。
かつてこの地に廣島市中島本町があった。1945年8月6日まで。 #広島 #平和公園 #この世界の片隅に pic.twitter.com/Nd3bQ2oMg0
— ブヒくん #Antifa #野党は共闘 (@buhikun) 2016年11月5日
この公園の片隅で現代を睨んでいるのだ。
相生橋はT字型の特徴ある橋で。鉄道雑誌にも多く取り上げられ中沢啓治にも描かれたが、1945年8月6日、米軍B29はこの橋を目標とした。 #広島 #広電 #平和公園 #歴史 #この世界の片隅に pic.twitter.com/38A4vZue71
— ブヒくん #Antifa #野党は共闘 (@buhikun) 2016年11月5日
ここに動画を貼ろう。
#この世界の片隅に 絶対に観ろよ(強要
ちなみに私はまだです(^(00)^;;
そのすぐ北側には市民球場阯。
市民球場跡。すげえもったいない(爆 #広島 #carp #歴史 #行政 #まちづくり pic.twitter.com/AD7ua9veeb
— ブヒくん #Antifa #野党は共闘 (@buhikun) 2016年11月5日
特等地にして係争中。ガランとしているが、中心地に「遺跡」が点在する広島だとなじんで味わい深いと思ったり。
続きます。
1105決戦広島/優勝パレード・優勝報告会・黒田様惜別…「天使のため息」に乗せて(前編になりそう
まあ行ってきたわけです。
日本一がデフォルトだった日々、当たり前のように「ドリームスリーパー」を予約しました。ネットなのでゼロ・グラビティではなくエクゼクティブです(汗
で、11月4日。
ひとつのピンチ。持ち合わせがない。
詳細は書けませんが、色々努力してもあまり積み上げられません(泣
手持ち20K切るくらいでなし崩しに出ます。
仕事の性格上、定時に勝手に自己判断で抜けられません。
こちらは結果オーライそのもので、「最終防衛ライン」は護持されました(汗
金もないし時間もないので、駅でにびりめしを喰って急行しました。
横浜駅東口には、東口BTのほかにYCATがあるのでややこしいことこの上ない(怒)あと、そごうが20時閉店なのでトイレ入っても出づらい。
ともあれ、「ドリームスリーパー」@中国バス入線。
ドリームスリーパーは変わりなく中国バスの旗艦だが、そろそろ陳腐化か経済的耐用年数が来るらしい。
ただ、特一等のゼロ・グラビティでなくとも、一等のエクゼクティブでも十分快適。
広島まで12時間弱。開放休憩は足柄SAのみ。寝る。
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はい広島バスセンター着いた。
いきなりこうです。
デーモン閣下も歓迎しつつがん検診を強要(NHKサンデースポーツをご覧の方ならご承知だが、この人相撲だけでなく広島野球もキチ。
バンバン気分は盛り上がるが、外もひどい(ほめ言葉
これ土曜日の朝8時半前ですよ、奥さん(白目
まあやばいなと思い、紙屋町西電停に。
趣味的に、江波所属の特定車両の動向が気になったんで、江波に向かったんだが、もうカープレプリカの赤い軍団が妄動始めていた(苦笑)
十日市町電停まで出てみれば、JR横川駅から出撃した赤い軍団で電停はパニック。
(横川江波線はこの手の単ボギー車が受け持つのですし詰め。ちなみに元大阪市電2600型の900型)。
横川から来たカープファンの大半は、平和大通最寄りの土橋電停で下車したが、後ろ出口から下車したカープファンはウテシのいる前乗車口に進んで自主的に運賃を納める。すがすがしい。一昔前のファンなら(以下略
江波車庫については多くを記さないが、特筆すべきは花電車。今日が最後だろう。
ウテシは背番号9、丸佳浩(もちろんレプリカ
しかし、街中に真っ赤な人が溢れているのは2002W杯の韓国以来やろう。
国民銀行の両替窓口のおねえちゃんまで韓国代表の赤Tやった(遠い目
中編だか後編に続きます<m(__)m>
おわび
九州西回り紀行2015 その1 肥薩線日肥線国境越えの日
1ヶ月近く放置してしもた。済まぬ<m(__)m>
日付は2015年5月18日。成田空港3タミフードコートの床からリスタート。
フードコートもおよそ朝飯向けでないラインアップであったので、早めにチェックインした。まあご承知の通りLCC。この日はLCC内序列は上位っぽいジェットスター。
インしても全然搭乗案内なんかないんで、タコ足充電しつつ待機。
かごんま上空は噴煙のため降機できんかもと脅かされたが、なんとか搭乗離陸。
かごんまには9時半過ぎに着いた模様(記録による)。
さつまあげですね、わかります。
一旦バス乗り場に出て様子眺めしたが、順調に捌けすぎて、目的地方面のバスに乗れたのにスルーしてしまったと結果論的に判明。少し痛い(バス券売り場でおっさんが買ってすぐ来たバスに乗っていった)。ただ結構雨が強く、あれに乗ったらICから町中まで30分以上歩いたかも知れないので、保留。スルーする。
空港内で朝食。結果として朝っぱらからかごんまラーメンになったが、許す。
基本に忠実。よい。
さて、今回もそうだが、九州周遊に欠かせないアイテムを紹介する。
青春時代は「九州ワイド周遊券一択」だったが、時は流れた。
九州の鉄道は一通り乗っているので、バス乗り放題は魅力。全九州4日間14,000円を選択。九州島内夜行バスもあるんですよ、奥さん(後述
プランニングとしては、可能な限りバスを利用して鉄道は補充的にと考えて組んだが、初日は安全策をとって鉄道での山越えを最初に持ってきた。
ここで第1バス登場である。
南国交通の大口行き。かごんま中心街行きのリムジンバスはエアポートリムジンいバスがご案内だが、こちらは全くの路線車です、ありがとうございました(苦笑)。終点の大口は、かつての山野線、宮之城線のターミナルだが、どちらも跡形もない(わかる奴だけわかりゃいい。ちなみに行ったことあり)。
大口まで完乗するわけではなく、肥薩線の大隅横川駅まで乗車。鉄道と離れた道をかなり走って乗りでがあった。
大隅横川駅。観光列車もゆっくり見るという、駅舎好きにはたまらんところ。
ここからはキハ40単行の吉松行きに乗車し、吉松からは「しんぺい2号」で矢岳超えの運びとなる。
矢岳越えは曽遊の地なので詳細は略す。ご容赦。天気もひどかったので見るべきものは残っていない。
ちなみに「しんぺい」とは台湾総督鉄道院総裁東京市長の後藤新平であり、まっこと「わかる奴だけわかりゃいい」マターだが、東京市政研究をする上では欠かせないことは強調しておく。
あと、紙の時刻表には「いさぶろう、しんぺいに乗車の際は指定券推奨」と特記してあるが、なくても無問題であることはお知らせしておきたい(豆知識)。人吉寄りのロングシートは自由席で、邪魔にされることもない。
人吉到着。右「しんぺい」、左「九州横断特急」。
人吉のミッションは人吉温泉入浴及び昼食である。
かなりの雨の中湯を探す。温泉はっけん!よかった!
新温泉。湯治場の共同湯として風情あり、好ましい。
おばちゃんが番をしており、男湯には二名先客があった。
湯はそこそこ立派で、ぬるいが泉質には文句ない。ただ洗い場は十分なかったので翌日送りとし、浸かって引き上げた。
時間的に食事の余裕なく、駅でこの先の検討する。
湯前まで行くのだが、
1)くま川鉄道で行く
2)後から出る九州産交バスで行く
くま川鉄道未乗だし車内で弁当使えるのが有利なので1)に傾いたが、最後的に危険愛好心が勝利して(あと電車賃に対するけちな了見が頭をもたげて)2)を選択。
鮎寿司を食い、くま川鉄道を悠然と見送る。
さて、行路2)の湯前行きバスだが、リエッセ来ました。
(武蔵野市のコミュニティバス「ムーバス」に採用され名が知られた。デビウして長いが今なお各地で現役。ここでは撮影しなかったので天草の同型を貼る。)
このバスが発車時刻に5分くらい遅れてきた。終点での乗り継ぎがほとんど無いなと思ってみたら3分しかない。やばい。こういうことは何度もある。地獄を見てきた。
こんなものがスマホでも見られるのだが↓
最後まで緊張感パンパンで肝を冷やした。回復運転して終点3つ前くらいに定刻に復帰して事なきを得た(白目
ここからは宮崎のかなり奥地(最奥とはいわん)西米良村の村営バスである。
SUNQパスも通用しない別払い区間である(今回九州内唯一)。
この区間は平成になった頃まで国鉄→JRバスの路線があったところだが、現状は村営が2~3往復のみで、しかもこの日は貸し切りだった(笑)しっかり村に800円寄付して参りました。
道中脇道に入った所以外は道路事情良く、まあバスは苦しいだろうと。
往年の路線図↓
西米良村の中心街?農協の支所みたいな建物に村所バス停があり、ここからは宮崎交通バスである。但し宮崎市内までの直通はなく、西都で系統分割されている。西都といえばヤクルトというのはおっさんである(笑)
西都からは宮崎市の宮交シティに向かう。計画当初は宮崎→かごんまというプランもあったが、何分山越えの村営バスが朝と夕方しかなく、その日のうちにかごんまには行かれない。
そこで夜行バスですよ、奥さん(苦笑)
宮崎から最終の福岡行きバスに乗り、折り返しかごんま行きの夜行バスに乗る。こうすれば宿代も要らない(爆
しかしそれにしても、宮交シティで福岡行き最終への乗り換え時間が15分ちゃかない(嘆息 宮交シティ併設のダイエーが開いてた、開いててよかったけどろくなもんがない。仕方ないからチョコフレークと牛乳で夕食に代えました(泣
福岡まで行くと鹿児島行き夜行と行き違いになるのです、佐賀県の基山PAバス停で下車。雨が止んでて良かったけど、とんでもない初日の終わりでした。まる。
その2に続くよ(未完
九州西廻り紀行2015 その0 前夜
5月17日、午後3時過ぎ。
ある試験は終幕を迎えていた。
東京臨海部。Twitterには「やったー、釈放(^(00)^)/」と書いた。
早急に帰宅して、出発の準備しないといけない。心ではそう思いながら、駅前の広場のベンチで新聞広げ、スマホを起こし、住民投票を行う。
一瞬の飛び込み自殺。そしてストレイトガール(絶句
…気を取り直して帰途につく。大井町駅、ラッチ外のコインロッカーに収めた家財道具を取り出し、埼京線直通で新宿へ。京王線で(確か北野乗り換え)高尾へ。
歩荷さながらの大荷物(95%本!試験を受けると漏れなくおみやげに法文がついてくる!)を自宅に担ぎ上げたら、6時近かった(相撲やってたはずだが不明)。
Twitterで「17日呑み」のゆる募をかけていたが、全く反応がなかったので一人打ち上げに決し、うちでもちょっと呑んだ。
荷造りはそんなに手間もかからず、かといって東京駅八重洲口翌未明午前2時発だったので急いても詮無い。
当日のはてダ(ほぼTwilog化している)を見ると、夜8時半くらいには出立した模様。たしか「花燃ゆ」はこの日正式に継続視聴をやめたと思う。「水どうClassic」もブッチしたっぽい。
明大前吉祥寺を経由して、打ち上げ会場へ。ここ。
西荻五鉄であります。ホルモン(見りゃわかる)。
この日は大阪住民投票日でありまして、道中Twitter観察しており、明大前当たりでは「絶望」情報もちらほらあった。
しかし、ホルモン第一波が焼ける寸前くらいに、反対多数当確キター(^(00)^)/
乾杯(^(00)^)/バンザイ(^(00)^)/(^(00)^)/
「Viva la Osaka!」やら「Thank you Osaka!」やらいうTweetもした。
しかし、とても楽観できない、我らの足下は空洞であるという認識もすでにあった。
京成が待合を新設していた。ここで発車まで待つことが出来、暑い時期寒い時期も重宝しそうである。
成田へは「東京シャトル」、この日は成田空港交通車両でした。3時に到着してLCC専用の3タミへ。めぼしい寝床は先客が先占していたので、フードコートの床で寝る。コンクリートの叩きやPタイルじゃなく、木質床材だったのでよく寝られた。まあアルプス稜線のテント場でゴロタ石の上で寝るのに比べれば大した問題でない。
続きます。
衣食住の次は「行」ー移動する私を記録する<冒頭発言として
はてなブログをサービス開始間もなくはじめたものの、放置約三年。
別ブログを立ち上げることにする。
メインブログは政談、法論、社会批評の場としてキープし、交通、旅行、移動の記録を残そう。
昔交通問題研究を趣味として、文献あさったり集会に出たりしたもんだが、たぶん交通問題の権威が喝破していた。「古来中国において『衣食住』が充足されるべきと言われたが、次に人間の豊かな暮らしに不可欠なものは『行』であると見られてきた。「南船北馬」という熟語もある。英語のタームで言えばmobility。」記憶は曖昧だが大意はこんなんである。また、憲法学上、移動の権利は憲法22条1項で保障され、その性格は営業の自由に類似し経済的自由権と解されてきた。しかし、近時、モビリティの権利につきその保障が言われ、移動の権利は社会権、あるいは人格権と言った性格をも持ちうると有力に言われるようになってきている(「交通権」の主張)。
巻頭言意識しすぎて堅くなったが、さあ、旅に出よう。